2016年5月26日木曜日

G7伊勢志摩サミット(2016/05/26-27) 伊勢神宮 訪問

興味深い写真.









ArcosOrchestra:
Béla Bartók
   Divertimento


[http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160002.png 外務省 HP から]

1 件のコメント:

Urata Toshio さんのコメント...

ロイターのコラムを読んだ:

http://jp.reuters.com/article/hiroshima-obama-idJPKCN0YI02V?pageNumber=1

Column | 2016年 05月 27日 10:18 JST
コラム:広島「原爆神話」、米国はどう海外攻撃を正当化したか Peter Van Buren

 オバマ米大統領が、現役の米大統領として初めて、世界初の原爆被爆地となった広島の平和記念碑を訪問する。写真映えのする訪問となりそうだが、この訪問は、この地が持つ真の歴史的な意味への認識を避けるものとなるかもしれない。

ケリー国務長官が4月に平和記念碑を訪問し、それ以前にも2人の米国駐日大使が訪れているが、彼ら同様、オバマ大統領も原爆投下をめぐる主要な問題には触れない方針だ。ベンジャミン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障担当)は以前、大統領は「原爆投下の決定について立ち返ることはない」と述べている。

まれな例外を除き、原爆投下が第2次世界大戦を終結されるために必要だったかどうかについての深い議論は、米学界の安全圏内でのみ行われている。

つまり、原爆投下がなくとも地上侵攻は避けられたのか。さらなる外交努力によって、2つの都市を破壊することなく、同じ目的を達成することができたのか。無人島での原爆実験で日本人を説得することはできなかったか。広島原爆投下の2日後、そして、長崎での投下1日前に、歴史上の偶然によって、旧ソ連が太平洋戦争に参戦したが、日本の降伏は主にこのことで引き起こされたものではなかったか。

しかし、議論が避けられてきたのは、その決定にまつわる歴史そのものだけではない。破壊行為の向こう側に横たわるのは、原爆の神話である。つまり、実際に起きなかったことを大衆が記憶するという戦後の創造物だ。

世間一般の意識に浸透している原爆神話は、簡単に言えば、原爆投下は復讐や悪意によるものではなく、軍事的な必要性からしぶしぶ決定されたというものだ。その結果、原爆投下は、道徳性についての深い自己反省や国家的な考察を呼び起こすことはなかった。

「神話」という言葉の使用は適切である。当時のトルーマン大統領は1945年の広島への原爆投下を伝える演説で、復讐と、米国だけが持つ新しくて並外れた力を強調。軍事的に必要だったという議論はその後、原爆投下を擁護する1947年の論文によって生まれた。