2015年1月6日火曜日

薄氷張る池で

1946年 Douglas MacArthur は昭和天皇の誕生日(4月29日)に『A級戦犯』を起訴して,1948年当時の皇太子殿下(今上天皇陛下)の誕生日(12月23日)に『A級戦犯』の死刑を執行させた.
 世界中での多くの理性ある人々による‘(東京)極東国際軍事裁判は MacArthur による復讐以外のものではない’という認知は,MacArthur の誇りを傷つけた.
不名誉をそそぐ道が,事実の認識であったのだろう: ‘Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.’ (戦争に突入した彼らの目的は、主に安全保障上の観点からのものであった。)さらには,日本を擁護して,民主主義の成熟度について「…日本は12歳の少年…」 (Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of twelve as compared with our development of 45 years.)と米上院公聴会で,日本占領の最高司令官の行動と立場を弁護し,経験を証言してもいる.
[ http://www.nybooks.com/articles/archives/1999/oct/21/macarthurs-children/ ]
 昭和天皇は,訪米時,マッカーサー記念館を訪れずまたマッカーサーの墓参もしなかった.

日差しさす薄氷の下でメダカが泳いだ.
‘野坂昭如:「終戦日記を読む」,2005,
NHK出版’ を読了.
山田風太郎は昭和20年9月1日の日記の中で,新聞論調の変化にふれて,「今まで,神がかり的信念を抱いていたものほど,…,自分を世界の罪人と思い,平和とか文化とかを盲信しはじめるであろう.」と書いている. 野坂昭如も「国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う」という‘一億総懺悔’に暗然たる気持ちを感じている. このような感覚に思い及ぶとき,日本のいわゆる文化人だけではなく,自然科学や技術関係の知識人においても,世界の文化経済状況の情報獲得の手立ての少なさの所使然という思いが湧く.
 言論の自由は GHQ 及び連合国批判にならないよう制限されていた.
GHQ による Press Code for Japan =
SCAPIN-33 「日本に与うる新聞遵則」
で指定されている検閲項目から,

   極東国際軍事裁判批判
   GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
   連合国の戦前の政策に対する批判
   戦争犯罪人の正当化および擁護
   占領軍軍隊に対する批判
   解禁されていない報道の公表
   ….
日本の新聞や放送の大方は, GHQ に言われるままに,今に至っているようだ.

1 件のコメント:

Urata Toshio さんのコメント...

http://ironna.jp/theme/133
勝者の正義と偏見・無知

を見ると,John W. Dower の本
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II
[三浦・高杉訳:敗北を抱きしめて,2004,岩波書店]
については,多様な解釈があるようだな.