2013年12月21日土曜日


濫読の一年を振り返れば、婆娑羅太平記 (黒須紀一郎伝奇小説) や 完訳 源平盛衰記(勉誠出版) も記憶に残る.

那須与一と扇の話などを、文学や国語の教科書などで読んで、“太平記は軍記物”と軍記の意に無頓着に古典文学の一などと思い込んでいた.

太平記は(人の)政治行動の選択という観点から読むべきものなのだと合点した.
 浅薄な読み聞きによる誤解を正された-武将達も読んでいたな.

1 件のコメント:

Urata Toshio さんのコメント...

源三位頼政が鳥羽院の女房の菖蒲前に一目ぼれをしたという話。
相手にしてもらえないままに三年が過ぎ、このことが鳥羽院に知られてしまう。
鳥羽院は、頼政を験そうとして、
菖蒲前と姿形がよくにている女二人に同じ着物を着せ、頼政に三人の中から菖蒲前を見当てるように申し付けた。

頼政は、これから起きうる事に困惑、躊躇して、
「五月雨に沼の石垣水こえて何かあやめ引きぞわづらふ」
という歌を院に奉る。院はこれに(何に?率直さ/Platonic Love/?)感心し、菖蒲前を頼政に引き渡したということである。
二人は末永く別れもしなかったが、京童は、“仲人が過ぎたれば…”と囃したというが、どういうこと?