2012年9月27日木曜日

湖光

中華人民共和国 < 大唐』,
『中華人民共和国 < 大清


   中華人民共和国 = 大唐,
   中華人民共和国 = 大清
であるかのように,誰もが 疑いを持たずに 信じ込むのは,人間経験の経済社会また歴史上の展開を忘れた 中華人民共和国人民の封建的思考を現すものか? 否,
儒学と漢字を基にする“中華”の考えの破産を隠蔽しているだけか.

『中国はいかにチベットを侵略したか Mikel Dunham, 講談社インターナショナル (2006/2/17)』

中華人民共和国における
都市住民と農村住民の差別は
誰に利益をもたらしているのか? 

1 件のコメント:

Urata Toshio さんのコメント...

『平野 聡: 大清帝国と中華の混迷 (興亡の世界史),2007,講談社』 を知る.

“中国” という語は中近東 (Middle East), ヨーロッパ (Europe),東ヨーロッパ(Eastern Europe)などの地域文化を表す言葉と読むのがよいのではないか-梁啓超が1902年に書いた「中国史叙論」で“中国”という名前が初めて出てくるという.
いわゆる“中国史5000年”という事が言える,
国家として調べれば,高々“中国100年”としかいいようがない.

ちなみに, http://ja.wikipedia.org/wiki/東洋史 を参照すれば,
「従来「東洋史」として一括された歴史は東アジア史、東南アジア史、中央アジア史、西アジア史、北アフリカ史などの地理的地域史やイスラーム世界史、インド洋世界史、中央ユーラシア史のような概念的地域史の枠組みへと移行しつつある。」という.